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ウクライナの映画「ザ・トライブ」は、暴力に支配された寄宿制のろう学校を舞台に、若者たちの鬱屈(うっくつ)した思いと抑えがたい激情を描く鮮烈な作品だ。声のせりふや音楽は一切ない。交わされる言葉はすべて手話である

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字幕での説明もない。理解できるか心配しつつ見たが、杞憂(きゆう)だった。声や文字にも増して、手話は感情を生き生きと伝える。声を荒らげる代わりに腕を激しく振り、早口でまくしたてるかのように指先が素早く動く。表現力の豊かさに引き込まれる思いがした

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「手話は言語である」。県の手話言語条例案は前文の冒頭にうたう。その文言を目にして、映画の記憶がよみがえった。条例案は今日、県会で可決、成立する見通しだ。手話を明確に言語と位置づけて普及を促す条例は、鳥取などに続いて4県目だという

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手話を“手まね”のようにみる意識はまだ根強い。読唇や発声訓練による口話法の教育が偏重され、当事者が苦しんできた歴史もある。目を向けるべきことは多い。耳の聞こえない人が不自由な思いをせずに暮らせるよう、病院で、街中で、働く場で、手話を当たり前の光景にしたい

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全日本ろうあ連盟などは「手話言語法」の制定を訴えている。既に国内すべての地方議会が国に法制定を求める意見書を可決したという。政府にも国会にも積極的な動きは見えないが、その声をないがしろにしてはなるまい。

(3月14日)