手話条例 先進地どう変わった
前橋市議会が市手話言語条例の制定の準備を進めている。条例ができることで、聴覚障害があり、手話を必要とする「聾者(ろう・しゃ)」らの暮らしにはどんな変化があるのか。全国の市町村に先駆け、2013年に条例をつくった北海道石狩市を訪ねた。
◇小学生の啓発に力/北海道・石狩市
石狩市が最も力を入れているのが出前講座を活用した、小学生への啓発だ。市立双葉小学校での出前講座で講師を務める石狩聴力障害者協会の杉本五郎会長(68)に同行した。
杉本さんらと校内に入ると、姿を見つけた児童4、5人が駆け寄り、両手の人さし指を曲げ(あいさつを表す手話)ながら、次々に「五郎さん、こんにちは」「こんにちは」と話しかけていた。この日講座を受けるのは2年生。前日はあいさつや食べ物などの単語を習った。この日のテーマは「~したい」という表現。杉本さんは「身ぶりとの違いを伝えるのが狙い」という。
親指と人さし指だけを伸ばし、あごの下にあて、指を閉じながら下げて「~したい」「好き」を表す。児童2人1組で「好きな食べ物は?」「ラーメン」などと手話通訳者の助言を受けながら発表した。1組終えるごとに、杉本さんは「伝わりました」「すばらしい」などと感想を伝えた。
約40分の授業を終え、杉本さんは真剣な表情で語りかけた。「私は聞こえないので声では分からない。でも手話ならすぐに分かる。今日は本当にうれしかった。特に『何?』と聞く時の表情がいい。これならすぐに伝わります」
こうした授業を今年度は市内6校で計70回予定している。年間3~4コマ。小学1、2年生は道徳、3~6年生は総合学習の時間をあてている。低学年は、簡単なあいさつからはじめ、高学年になると、災害時に聾者の避難を助ける場面を想定した会話も練習する。
聾者と手話で伝え合う体験を通じ「他者理解」を深めることを目指す。内容は教員や講師、手話通訳者、市の担当者などで定期的に話し合い、改善している。担当者が変わっても継続するために、市や市教育委員会を中心に学年ごとの授業計画や教員の指導案も作成している。
課題は講師数の確保だ。当事者団体では高齢化が進み、現在講師を務められるのは3人。講座を充実させるためにも、他市の当事者団体との連携なども検討しているという。
市障がい支援課の鈴木昌裕主査(44)は「手話や聾者への理解を深めた子どもたちが育つことで、近い将来、石狩が障害を問わずみんなにとって暮らしやすいまちになってほしい」と期待する。
◇聾者への理解広がる
市によると市内に暮らす聴覚障害者は約300人、そのうち約50人が手話を使って生活している。長い間、手話を否定する教育を受け、言語として認識されない社会で生きてきた聾者たちは、条例制定後、日常の小さな出来事に変化を感じている。
杉本さんは、手話であいさつしてくれる人が増えたことを挙げる。簡単なあいさつだけでも「通じ合うことができていると感じられて、うれしい」という。かかりつけの病院では、X線を撮る際、息を大きく吸うことや止めることを、身ぶりで教え、合図してくれたという。「手話ではないが、『聞こえない』人への配慮や理解の広がりを感じた」
両親も聾者だという妻の洋子さん(53)は、食堂で手話のやりとりを見かけた店員が、テレビのチャンネルを字幕付きの番組に変えてくれたという。「理想は手話でコミュニケーションを取れる社会が広がること。でもまずは聾者という存在を受け入れてくれることがうれしい」
条例をきっかけに、会員数が倍増した手話サークルもあった。手話や聾者への理解は、聾者以外の市民へも広がっている。
石狩市内のショッピングセンター「イオンスーパーセンター石狩緑苑台店」では、昨年4回、手話の勉強会を開いた。従業員約80人が参加し、聾者の暮らしや「こんにちは」「いらっしゃいませ」「ありがとうございます」など、レジでも使える簡単なあいさつを学んだ。勉強会以降、サービスカウンターなどでは、手話のできる従業員が聾者と会話する様子を見た他の従業員が、「今はなんて言ったの?」などと質問するなど、手話を教え合うような雰囲気が出てきたという。
同店の武岡弘樹人事総務課長(36)は「お客様が手話を必要としていると気付いたら、まずはあいさつをできるようにする。安心して買い物できる店だと思ってもらえるようにしたい」と話す。
◇出前講座 年102回
施行から1年半を迎え、市内では様々な取り組みが進む。
市障がい支援課によると、市民からの依頼で聾者や手話通訳者が講師を務める「出前講座」は2014年度、前年度の7倍の102回開き、のべ約3600人が受講した。今年度は全127回を予定している。
環境整備も進む。その一つが、タブレット端末などを使い、手話通訳者を経由して電話できるようにする電話リレーサービスだ。タブレット端末で無料通信ソフト「スカイプ」を使い、事前に登録してある番号にかける。市役所にいる手話通訳者が出て、テレビ電話で話し、連絡を取りたい相手に伝えてもらう。
これまでは、FAXやメールを介して連絡を取り、病院の予約変更や宅配便の不在票の対応など、通訳を頼みたければ、市役所の窓口へ出向かなければならなかった。まだ休日や夜間などは使えないが、洋子さんは「詳しい話や細かい内容を伝えるのには対面が一番だが、急ぎの場合にはその場から連絡できてとても便利になった」という。
市役所では、職員対象の手話講習を企画し、3年間かけ全職員が、条例の理念や簡単な会話などを学ぶ予定だという。
◇前橋、独自策を検討
12月議会での制定を目指す前橋市議会は、9月に各会派代表者で「条例制定研究会」を立ち上げ、石狩市の条例などを参考に素案を作成した。今月中旬には当事者らの意見を聞く予定だ。
条例には、市立の小中学校での手話の普及啓発や手話通訳者の確保などを盛り込む。市独自の要素として、全国で初めて県条例と市条例が設けられることを受け、県との連携や通常学級に通う聴覚障害児への対応など、手話も含め障害の特性に応じた様々なコミュニケーション手段を支援するための内容も入れるとみられる。
聴覚障害者に関する問題に詳しい群馬大教育学部の金沢貴之教授は「前橋市は中核市であり、県庁所在地でもある。医療や義務教育など、市町村の役割に注目しつつ、県全域への波及効果を考えた条例にしていく必要がある」と指摘する。
当事者団体の全国組織、全日本ろうあ連盟の久松三二事務局長は「地域の当事者や手話通訳関係の団体等の意見を十分に反映し、実効性のある条例にしていただきたい。前橋市内の小中学校等を中心に、手話教育や普及が広がることを期待しています」とコメントした。(池畑聡史)
◆石狩市手話基本条例 2013年12月、言語としての手話や聾者への理解を深め合うことを目指し、市長提案により全国の市町村で初めて制定された。手話を使いやすい環境をつくることを市の責務とし、当事者団体や手話サークルなどとの連携、市民が手話を学ぶ機会の提供、手話で情報を得る環境の整備、手話通訳者の確保など、市の方針を示した。手話通訳の派遣条件についても、これまでは「公的派遣にふさわしくない」と制限してきた宗教や政治の集会の場、友人や知人の結婚式への参列時にも依頼できるようになった。
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