「手話は言葉」着実に浸透
手話の普及に努めるよう定めた県手話言語条例が4月に施行されてから2カ月。社会全体へ向けた取り組みはこれからだが、条例制定のきっかけとなった県内の聴覚障害児教育(ろう教育)の現場は、少しずつ変わり始めている。
4月下旬、前橋市天川原町1丁目の県立聾(ろう)学校幼稚部の教室で、園児らが手話をしながら声を出して歌を歌っていた。
幼稚部には、幼稚園の年少から年長にあたる3~5歳の園児22人が在籍し、大半は補聴器を着けている。そのうち半数ほどは、音のテンポなどは分かるが、高低の違いなどは聞き分けられないという。先生たちも言葉と同時に手話を使って歌った。
聾学校で手話――。一見、当たり前に思える光景だが、実はこれまではほとんど手話は使われてこなかったという。幼稚部で手話を必ず付けるようになったのは、県手話言語条例が施行された今年4月からだ。
日本では大正時代以前は手話が使われていたが、1933年に当時の鳩山一郎文相が、日本語の発音訓練を中心とする「口話教育推進」の訓示をしたことで、全国の聾学校では口話法が主流となった。手話は「思考力が育たない」「文法的に劣ったもの」との偏見から使用が禁止された時代が長く続いた。
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そうした流れが変わり始めたのは1990年代に入ってからとされる。95年前後から奈良県や三重県などで幼児期から手話を導入する聾学校が出始め、2000年代以降に一気に広がったという。06年には、国連障害者権利条約で手話は「言語」と明記された。国内でも、11年に改正された障害者基本法で同様に記されるなど、手話を見直す機運が高まった。
東大大学院の酒井邦嘉教授の研究では、健聴者が日本語の文を理解する時と、ろう者(手話を使う聴覚障害者)が手話の文を理解する時では、いずれも左脳の同じ場所が活性化することが分かっており、脳の働きなどから科学的にも「言語」と立証された。健常者が日本語で話す際に文法があるように、手の形や位置、動き、眉やあご、目線の動かし方の組み合わせで複雑な文法も表しているという。
上越教育大大学院の我妻敏博教授(聴覚障害児教育)の調査によれば、聾学校幼稚部の教員全員が手話で指導する学校は2007年の時点で全国の77・5%、半数以上に限れば86・3%(1997年は22・5%)に上る。
だが、群馬のろう教育は手話の導入を進めなかった。聾学校のある関係者は「教育現場では指導方針が聴覚口話法を重視し続けてきた」と打ち明ける。手話がろう者の言語として全国的に認識されていても、県立聾学校幼稚部の基本方針は、2014年度時点で手話の使用について「個々の実態や場面に応じて」としており、使用を前提とはしてこなかった。
幼少期からの手話教育を求め、県内から出て行った家庭もある。黒住雅子さん(45)は4年前に桐生市から東京都に転出した。現在都内の聾学校の小学部に通う長女(7)は、生後間もなく重い聴覚障害があると分かった。ろう者として生きていくために手話を身につけさせることを望んだが、聾学校の乳幼児向けの教育相談の担当者は理解を示さなかったという。地元を離れることに抵抗はあったが、悩んだ末に夫も仕事を辞めて引っ越した。
「生きるためのコミュニケーションの手段として手話が必要だということが理解されていないと感じた」
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多くの保護者らの要望などを受け、県議らが議員提案での条例制定に向け動き出した。自民党の橋爪洋介県議は「多くのろう者から話を聞き、全国的にも遅れていた聾学校やろう教育の問題を変えなければいけないと感じた」という。
3月12日、条例成立後に記者会見した全日本ろうあ連盟の久松三二(みつ・じ)事務局長は「特に手話を知らない親から生まれた聴覚障害の子どもが、自然に手話を学べる環境の整備に取り組むことを目指す内容になったことが大きい」と語った。
県内の現場も少しずつ動き始めたが課題も多い。
ろう児が、手話と自然に出会える環境を実現するためには、手話への正しい理解が進むことが必要となる。子どもが幼稚部に通う母親の1人は、入園前の教育相談が重要だと指摘する。「健聴者の親にとっては初めて手話に接する場になる。そこで、手話を使うことは当たり前なことなんだよと伝えてほしい」
教員の手話力の向上も必要だ。県立聾学校では、手話に堪能な教員は幼稚部の約10人中3人、小学部の19人中11人ほどだ。萩原泰広校長は「教育現場として、教員の手話の力を向上させるための研修体制をさらに工夫していかなければいけない」と話している。 (池畑聡史)
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群馬大教育学部の金沢貴之教授
――県手話言語条例の意義は
ろう者の子どもや親の9割は健聴者という「90%ルール」という言葉がある。ろう者の問題は教育関係者と親の中で議論されてきたが、県条例は聴覚障害者が主体的に関わって練り上げていった点が画期的だ。
――口話法重視の問題は
口話法自体が悪いわけではないが、手話を「日本語習得の妨げになる」と見なし、健聴者中心の考え方でろう教育が進むことにつながってきた側面がある。重い聴覚障害の子が十分な恩恵を受けられない問題や、口話法だけでは明確なコミュニケーション手段とならない現実もある。
――なぜ乳幼児期から手話の環境が必要か
選択権の保障だ。多くの聴覚障害者が、十分な情報を得たり、円滑なコミュニケーションには手話を必要としている。将来必要な時に身についていなければ、その子が手話を選ぶ権利が保障されないことになる。言語として習得の「臨界期」もあり、ネイティブとして使うには早期から自然に習得するのが望ましい。
――今後どのような教育を目指すべきか
共通のコミュニケーション手段としての手話を前提として、日本語の読み書きを習得することだ。話す、聞くは個々の聴力に応じた配慮が必要。一方で、音声を活用して日本語を獲得する権利も保障しなければならない。親に対し、手話やろう者の社会について適切な情報を伝えていくことも求められる。
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